2012/05/23

「皇甫誕碑」欧陽詢

 「皇甫誕碑」古游臨書

 皇甫誕碑」欧陽詢

最近、競書提出に追われていて臨書をアップする余裕なし。
提出日の前日は徹夜に近い状況だ。
毎日少しずつ書く習慣を付ければいいのだけど…
毎度、半紙の楷書・行書、条幅の楷書・漢字まじり、
細字など5〜6種を一度に書くはめになる…(汗)

今日は、スキャンしやすいので細字をアップ。
皇甫誕碑はかの有名な九成宮醴泉銘を書いた欧陽詢の書。
まだ、大きな違いを捉えていない自分は、
今のところ九成宮と同じようなイメージで書いている。

しかし、小さい字は集中力を持続させるのがつらい。
3行書いたら、数倍休む…

 皇甫誕碑法書
皇甫誕碑随王朝に仕えた名臣の一人であった皇甫誕を、子息の無逸が顕彰した碑。碑文は于志寧(うりねい)の撰、書丹は初唐三大家の一人欧陽詢。立碑年月の記載がないが、欧陽詢の官名から貞観11年(637)前後(欧陽詢の最晩年期)と想定されている。
皇甫誕(554-604):随王朝に仕えた誠節の名臣。晩年、楊諒(ようりょう)が併州に兵を起こして反乱した時、皇甫誕は節を守ってそれに従わず、諒の軍に敗れて殺害された。
欧陽詢(557-641):初唐を代表する文人。代々南朝の豪族だったが、彼の父が謀反で処刑されたため、父の旧友の高官に教育を受けた。不遇な環境に育ち、顔かたちが醜く背も低かった欧陽詢は、大変聡明でたゆまぬ努力を重ねた。
欧陽詢の書王羲之の影響を強く受け、それをさらに新時代の精神によって均整美を発揮し、めまぐるしく姿を変えつつあった楷書の典型を確立したことで、「楷法の極則」といわれた。細く引き締まったやや縦長、背勢の技法は、欧法と言われる。
初唐の三大家
欧陽詢(557-641)・虞世南(558-638)・褚遂良(596-658)

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